Flavor of Life
日々の思いつきとこれまでの旅行記、音楽と本の感想などを稀にアップしていきます。
自分の感じたことをすっと言葉にすることに、ときに困難を覚えることがあります。
うまい表現がみつからない、というか。
「言葉をみつける過程」の記録としても位置づけていけたら、と思っています。

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祖父母を想う                 
先日、祖父の三回忌がありました。

祖父が亡くなって直後に書いたものを、加筆のうえupします。

祖父が新年に数え年89歳を迎え、すぐに亡くなりました。

6月からの入院中、毎日一日も欠かさず誰かがお見舞いに行っていったのに、
ひとりで真夜中に旅立ちました。

祖母や伯母らがかけつけたときは、もう旅立った後でした。



幼少時、祖父母の下で頻繁にかつ長期間にわたり育った私は、
いとこや自分のきょうだいに比べて、かなりおじいちゃんおばあちゃん子でした。


躾は専ら母方の祖父母と、母にされました。

祖父に、一度だけ膝をパーンと叩かれたことがあります。
私が足を崩してご飯を食べていたからです。

祖父は「崩して座んなさんな」と言いました。
お箸の持ち方や挨拶の仕方も祖父母に躾けられました。


妹が12月の中旬に病院に行ったときは、頭上でみんなが会話していると、
「誰がだ?」とか「どこでだ?」などと会話に参加したり、
夢で自分のお店のことが気になるのか
「カツを揚げろ!」とか叫ぶ元気があったそうですが、
私が27日に駆けつけたときは、1週間前にそんな大きな声が出る状態であったことが信じられないほど激変していました。

大きな声などもはや出せず、頷いたり首を振ったりすることで
意思表示をするようになっていました。


しかし、30日、朝から昏睡状態の祖父の頭上で、
「おじいちゃんもうわからないのかな」などと話していたところ、
突然、祖父は「そんなに馬鹿じゃねえ」とはっきり口にしました。

妹と伯母と私は驚いて顔を見合わせました。
「意識がないように見えても、話せないだけで全部聞こえてるんだよ」と
妹が言いました。



翌日の大晦日には、何か言いたそうでもこちらは何も聞き取れず、
末期がんが痛むのかうめいたり、話し掛ける言葉に微かに頷いたりするだけで、
聞き取れた言葉は30日のそれが最後でした。


そして今、60年以上祖父を支え続けた、祖母を想う。
祖父が亡くなり祖母が独り暮らしになったとき、母が
一緒に住もうと提案した。
祖母は、近所の人もよくしてくれるし住み慣れたところがいいから、といって断った。

今年の雪かきは一体誰がするのか。。。

雪国に独り暮らす祖母を想う。

: family : comments(2) : - : posted by kay :
Tears relieve stress                 
I unexpectedly cried bitterly for the first time in these years when I talked a little bit about the issue with my roommate.

Tearing once in a while and taking a hot shower every night have soothing effects and make me feel relaxed.
: family : comments(2) : - : posted by kay :
お祖父ちゃん                 
私の大好きな母方の祖父が、
私に最後にかけた言葉は、
「お前(おめえ)、誰だ?」というものだった。

私は、涙が止まらなかった。
お前、と久しぶりに言われたことが嫌だったわけじゃない。
そもそも、さっきまで暫く祖父の私への最後の言葉を忘れていた。
ふと祖父の私に対する最後の言葉を思い出したから、
祖父についてちょっと書いてみたいと思う。

誰だ?といわれたときは
私のことを認識できなかったことよりも、
1週間前は「受かるわけあんめえ。そもそも
女でそんなことやってるの見た事ねえもの」
と言っていた祖父が、
あまりに容態が激変して弱っていたために
お迎えが近いことを予感して悲しかったのだ。

孝行のしたい時分に祖父はなし。
私の祖父は、双方とも、齢89で亡くなった。


私は祖父の墓前に吉報を報告したいと思う。
受かるわけあんめえ、よいじゃねえと
数分おきに言っていた祖父。

心優しい祖母は、私の顔色を伺い、「そんなことないさねえ」と
懸命にフォローしてくれようとしたが、
祖父の言葉は自分が実際に見たことや経験したことのあることしか
信じられない祖父の素直な感情から来たものだと自然に受け取れたから、
私は全然気分を害したことはなかった。
女医については、自分が入院している病院でよく目にするからか、
晩年、「医者になるんかい?」などときいてきたりして
ほほえましく思った。

小さい頃、ありとあらゆる伝染病にかかり、
入退院を繰り返し手術するなど、身体が弱かった私は、
祖父母の家でも体調を崩し、そのまま預けられて
暫く育ててもらうことがよくあった。
うちの子だ、と言って育ててくれた祖父が大好きだった。
私を公園に連れて行って、一服するのが常だった。
私が報告しにいったら、きっと喜んでくれると思う。

祖父の写真で印象に残っているのは、
赤紙が来たとき、奉公先の店の主人にあつらえてもらったという
軍服を着て撮ったものだ。
祖父は、当時にしては長身で、男前だった。

引き揚げの混乱のなか生き別れになった妻子と、
インターネットも携帯もない戦後、
どうやって再会したのか、など
きいてみたかった。
でも、祖父はもういない。

母が、母の父である祖父について、
祖父が亡くなって暫くしてから「あんな人、嫌いだった」と言いはじめたことがある。

「あなたにとってはただの優しいお祖父さんだったかもしれないけれど、
亭主関白で聞く耳をもたない」。
また、「お金にケチだった」とも。
私にいつも本を読み聞かせてくれた祖父の悪口を言われるのは悲しく、
母が目に涙を溜めながら実の親のことを自分の娘に悪く言うのを面と向かって聞くのは、
複雑な思いだった。


私には、思ったことを相手に率直に言ってしまう傾向があり、
それで失敗をすることも多いが、
母に対しては自分でもびっくりするくらい自己制御が働く。
だから、祖父のことをきいても、反論せず、「そっか」と呟くばかりだった。


祖父がケチでなければ、母は進学することができなかった。


母の言葉をきいてすぐにそう思ったけれど、胸の中にとどめおいた。
母には言ってはならないことだ。


母は繊細なので、人間関係で傷つきやすい。
傷つくのを防ぐ自己防衛本能から、一見情が薄いと見えるような、
言動をすることも。
人間関係が深くならないうちに、自分から引くのだ。さっと。
こういうところは私と違うなあと思う。
子どもに対する接し方についても、「つき離し」と思われるところも。
ベタベタするのを嫌がるふしがある。
私は家で生まれてから一度も母と一緒にお風呂に入ったことがない。
でも実は情は深い。
結構おもしろいし、意外とタフなところも。


私は、その日暮らしが続いて苦労した祖父母に比べて、
甘ったれた生活を送り、なんというていたらくだろう。
特に、この一週間は、お腹が痛い、ということを言い訳に、
睡眠時間を多くとりすぎてノルマが果たせていない。
祖母は、決して身体が丈夫でないのに、
私の年で、すでに子ども3人を抱え、その日暮らしの
商いをしていたことを思うと、情けないばかりである。

無一文となって帰還し、長男でもないから農家も継げないなか、
妻子を抱え、闇市から身をおこし、
商人として家を三軒建てた祖父のバイタリティ、
そして祖母の芯の強さが
私には流れているはずだ。

もっとも、最初の家は、トタンの夜露をしのぐだけのバラックで、
祖父が10代の頃奉公していた新橋のお店の主人が
はるばる訪ねてきたときには、
一家のあまりの貧しい暮らしぶりをみかねて、
返さなくていいといいながら、お金を置いていったという。


通過すべき関門は、結局、メンタル面の強さが問われている、
というところのようだ。
祖父に吉報を報告することができるよう、
ストイックな生活に入ります。

私は要領がいいとは決していえないので、
一週間の過ごし方が確立されるまで時間がかかるかもしれない。
自分との闘いだ。
時間管理が確立されるまで、
更新を休みます。
: family : comments(0) : - : posted by kay :
邂逅                 
先日、Tちゃんが久しぶりに我が家にやってきた。
すると、家出中のギャルも、帰ってきて、
久しぶりにギャルと会話のキャッチボールをした!

一応、同じ屋根の下に住みながら、
ギャルと会話と呼べるものをするのは何ヶ月ぶりのことだろう。
邂逅とはこういうことか。
夕ご飯を3人で食するという、ありえない光景。
Tちゃんがうまーく潤滑油になってくれた感じ。

Tちゃんとはこんな女の子です。
以下、昔のメモより
ルームシェアをしている我が家には、Tちゃんが、ときどき、怒涛のように押し寄せ、
挨拶もそこそこに去っていく。
つまり、時々、3人で住むことになる。

Tに事前予約されてもドタキャンばかりするのであまりあてにしていない。
そうかと思えば、突然、「今から行くから」と言い出す。

ときには、約束もしていないのに「ごめん、やっぱり今日行けないんだ〜残念!」などとルームメイトと私にメールを送りつけてきて勝手に自己完結している。

ルームメイトと私は、彼女が来るつもりであったことなど何ら聞いていないので、
顔を見合わせるばかり。


Tが通りすぎたあとは、まさしく嵐のあと。
ルームメイトと私の化粧品を勝手にかつ大量に使い、蓋は閉めず出しっぱなし。

彼女は、ルームメイトからも日曜日早朝に家を出る私からも
一緒の布団を使うことを拒否され(←こう書くと何だかひどい仕打ちをしているみたい)
ルームメイトが与えた毛布を下敷きに、どっかの国旗にまるまって (←不敬罪?)
台所の床に寝ている。

しかし、私が起きて出かける用意をし出すと、その気配をTは寝たまま察知し、
すごい力で私を押しのけ、空いた私のベッドに速攻ダイブし
そのまま別世界へ・・・
起きたときには、ベッドに移ったことは覚えてないらしい。
人間の本能ってすごいわ。

Tちゃんにベッドを明け渡して、日曜の午後、仕事から疲れて帰ってくると、
私の部屋はまるで空き巣に入られたかのように
天地がひっくりかえっている。
あきれはてて何も言えず。


人が仕事に行っている間に、私の服を勝手に着るのはいいが、
試した服は床に投げ散らかしっぱなし。 
皺になるものだけはお願いだからちゃんとかけてくれ〜!


奪われたマイベッドは、シーツが外れて丸まってるし。
一体どういうふうに寝たらそんなになるかな。
ちなみに彼女は、ベッドを破壊した(ベッドに穴をあけた)経歴あり。


絶句している私に向かって
「なんか元気ないね〜大丈夫??
 じゃ、来週もまた来るかも(←未定)。
 またね!」と無邪気に言ってくる、
とっても憎めない女の子です。

山田詠美が『A to Z』で言うところの「日常生活をすみやかにこなす技術」が
足りない私から見ても、その技術がさらに欠損しているかのようなTちゃん。

そんな彼女だが、私もルームメイトも、Tちゃんが暫くこないと、
「最近音沙汰ないね」となぜか気になる。
ほうっておけない女の子なのです。


そして、今回も、嵐のように去っていったTちゃん。
私が、日曜の昼間、帰宅すると、私の布団がTちゃん型に
丸まっていた。

10月に入り疲れがピークに達していた私は、
まだ温もりのある布団に潜り込んで、連休の2日間泥のように眠って過ごした。


起きると、ギャルとの邂逅はまるで夢だったように、
彼女の姿は、既になかった。



評価:
山田 詠美
講談社
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: family : comments(0) : - : posted by kay :
巣立ち・・・?                 
ルームシェアをしていたはずの我が家。

数ヶ月前、私は
ルームシェアをうまくいかせるコツが段々わかってきた。

私生活は、なるべく介入しあわない。
基本は「ソロ活動」。
(こう言ったら、後輩に、「歌手じゃあるまいし、何かっこつけてるんですか」と
突っ込まれた笑)。

風邪のときやピンチのときは、助け合う。

掃除当番、ゴミ出し当番などの規則は決めないで、
気づいたほうが適宜やるようにしている。
当番を決めると、守れなかったときに険悪になるかなと思って。

ルームシェアは、超神経質な人や、音にあまりに敏感な人には向いてないと思う。
でも、いい意味でも悪い意味でも適当な性格である私にとっては、
メリットのほうが大きい。

お互いソロ活動をしているため、ひとつ屋根の下に住みながらも、
「ただいま」「お帰り」以外、会話をしないで一週間経つこともある。
でも、シャワーの音とか聞こえると、「あ、帰ってきてるんだ」と思って安心する。

自然体で一緒にいられる誰かと住むことで、
こんなにも精神的に安定するとは、と驚いた。

「人間は社会的な動物」ということを実感している。

等と
ルームシェアマスターかのごとく
得意げにのたまったものだった。馬鹿か。

しかーし。
撤回します、
ルームシェアマスターの座。(もともとないけれど)


ルームメイトは、一ヶ月くらい前から
着替えを取りにしか帰ってこないことに
昨日、気づいたのだった。(気づくの遅すぎだろ・・・)

あまりに「ソロ活動」が進んだゆえ、
ルームメイトがこの夏密かに海外に行っていたことも
保険会社からの海外旅行保険証が家に届いて初めて知ったという
有様だ。

うぉー。
もともと、家事の分担は、はなから期待はしていないけれど、
光熱費折半の件はどうなるんじゃ〜。(そこかい?)

シャンプー・リンス代だのトイレット・ペーパー代だの細かいことは
近頃は実質私がほぼ全部使っているし気にしないけれど、
光熱費はせめて折半していただかないと、
そういう約束で住み始めたわけだし
昨日、とある機関から高額の引き落としをされた私としては困るわけです・・・

意外と感受性が豊かなマイルームメイト・ギャル。

なんだか、「私の存在のせいで、kayの勉強の邪魔になっていないといいけど」
等と殊勝なことを口にしていたこともあるらしい・・・
No Way!って感じ。
もしや、私の修行宣言をきいて、巣立っていってしまったのだろうか。

しっかし、巣立ちにしては、立つ鳥跡を濁しまくり。
ペットボトルの山でオブジェでも作ったつもりなのか?!
ギャルよ、カムバーッック!

「ただいま!」と言ってもしーんとしている状態が約一ヶ月続いているし、
ギャルに話しかけたつもりで、
独り言を言っている自分が不気味ですくるりん

: family : comments(0) : trackbacks(0) : posted by kay :
contrasting characteristic, rebellious period                 
近頃、一番年下の妹が、複数のきょうだいのうち末っ子である母が長子である伯母(母の姉)について表現することと同じことをしばしば私について口にする。
「いいこぶりっこ」とか「親の前でええかっこしい」とか「反抗期なかっただろ」とか「自分の意思で何か決めたことはあるのか」とかそういう類のことだ。
それはちくちくと突き刺さる。
自分でもそういう部分や、母との独特な関係を自覚しているからだと思う。


私は、歳の近い真ん中の妹をいじめてしまったことを子どもなりに深く反省し、
末っ子の誕生が判明したとき、この子こそは絶対に大事にしようと心に誓った。
小学校が終わると飛んで帰り、ベビーカーを押して散歩をし、抱っこしてあやし、
お風呂に入れ、寝かしつけ、毎日子守をしていた。
ときには、言葉の意味もまだわからない妹にむかって紙芝居をして自己満足したりも。

私が家を離れて約10年、いつの間にか彼女は、
赤ちゃんの頃の、まるでおむつのCMに出てくる赤ちゃんのような純真無垢な愛らしさは微塵も感じられない、
日焼けサロンにいるギャルような見た目になった。
というか、そのまんまギャルである。
その彼女が冒頭のようなことを色々言ってくるたびに、
内心「誰がおむつ替えたと思っているんだ」といらっとしても、
狭い空間の中で逆切れ等されては時間の無駄なので、馬耳東風で通すことにしている。
何しろ今は妹の一言一言にいちいちつきあっている暇はないのだ。


他の家族によれば、彼女は高校の頃は
「番長と呼ばれ脇を舎弟(?)で固め周囲から怖がられ敬遠されていた」そうであるが、いくら見た目が変わっても、私にとっては、
別れたときにまだ小学生で可愛らしかった妹の面影がいつも投影される。
彼女なりにやりたいことをみつけられるといいな、と願うばかりである。
(こういう考えが妹にとっては「ウザイ」のだろう。)
近頃はどうやら片想いのようだ。


妹に関して、2005年夏に書いた日記を加筆修正の上、載せてみることに。
その年は、彼女がアメリカ留学から帰国した年で、今と違ってすごく懐いてきた。あれは幻だったのか。
近頃のかみつきっぷりをみると、懐いてきたのはあれが最初で最後だったみたい(笑)


末っ子の妹が一年ぶりに帰国し、成田に迎えに行った。
そのことが印象的だったので記録にとどめておくことに。

妹は高校時代アメリカに留学していた。


妹は、渡米前は、ぎゃーぎゃーいつもうるさい姉たちを嫌悪してか、
「どんな時もパニくらないを信条」(本人談)とし、常に斜に構え、クールで無口、
HIPHOPの好きな子であった。
家では「うん」とか「すん」とかしか喋らず、文章を口にすることがないので、
母と私は「日本語もろくにしゃべれないのにむこうで英語話せるのかね」
などと心配?したものだ。


また、「わしは親の言いなりには、絶対にならん」
「この家族に生まれたことが本当に嫌だった」などと毎日反抗し、
ちょっとでも頭をなでたりハグしようとすると「きもいんだよ!」と撥ね退け、
悲しくも私を始め家族は拒否されていた。

だが、成田で再会したとき、まず最初に抱きついてきた。
抱きつかれたのは初めてである。
渡米前よりもずっと明るく、無邪気に感情を表すようになっていた。
アメリカで毎日ダンスをしていたそうで、
見た目はHIPHOPの系統がより濃くなっていた。

帰り道すがら、アメリカでの生活について自らずっと話してくれた。
妹が、文章で話すのを初めて聞いた。
渡米前は、自分の学校生活について何も話してくれなかったのが、
空港から実家に帰るまでも、実家に帰ってから寝るまでも、
生き生きと自ら体験をずっと話してくれ、話はつきなかった。
それが嬉しかった。

妹は、日本で受験一辺倒の、締め付けの厳しい学校に入ってしまったが、
その学校のカラーは彼女には全く合わず、苦しんでいた。
その学校は中高一貫になったばかりで、学校として進学の実績がまだないため、
まず数として成果を出すのが先決で、妹曰く
「校内のテストの成績がいい生徒以外は人間じゃないという扱い」をされたようだ。

中学入試時の試験で10位以内だった妹は、
締め付けから逃避して一切の勉強を放棄したため、
みるみるうちに数百番も順位が後退した。
そして、年の離れた姉がいるせいかませていて化粧をばっちりきめ
見た目がとっぽい上にいつも廊下などで踊っていて目立つため、
先生方に「悪の元凶」「問題児」などと決め付けられ(本当にあきれて笑ってしまう)
母は学校から呼び出しを受けるわ、注意の電話はしょっちゅうかかってくるわで、
学校で自分の居場所がなかったらしい。

一方、留学先の高校では格好については「胸から太腿まではとりあえず覆うこと」とう
自主的なガイドラインがあるだけで自由であるし、
何よりも先生方が皆、それぞれの生徒のよさをみつけてくれようとするため、
やる気がおきたらしい。

地方の片田舎の進学校になりたいけどなりきれていないような高校で
「問題児」と不良扱いをされていた妹は、
アメリカの高校で、とても良い成績をもらって帰ってきた。
留学前は全てにやる気がおきず、「勉強なんて何のためにするかわからん」と目が死んでいたようだったのに、
実家に帰るバスの中で「勉強が好きになった」と言ったときはあいた口がふさがらなかった。
特に、アメリカ史と、webデザインの授業が好きだったらしい。
留学をきっかけとして、それまで考えもしなかった様々なことに問題意識も生まれ、将来勉強したいこともみつかったようだ。
渡米中一切電話をよこさず頑張った妹が無事に帰ってきたことと、
生まれて初めて自分に自信を持ててとても明るくなった妹を見て、
とても安堵した週だった。

十代の若者は、ちょっとしたきっかけの有無で、大きく将来が左右すると思った。
妹は、やる気が出るきっかけを持てたことで、幸運だったと思う。そのことは本人もよく自覚しているようだった。
: family : comments(0) : trackbacks(0) : posted by kay :
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