Flavor of Life
日々の思いつきとこれまでの旅行記、音楽と本の感想などを稀にアップしていきます。
自分の感じたことをすっと言葉にすることに、ときに困難を覚えることがあります。
うまい表現がみつからない、というか。
「言葉をみつける過程」の記録としても位置づけていけたら、と思っています。

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お祖父ちゃん                 
私の大好きな母方の祖父が、
私に最後にかけた言葉は、
「お前(おめえ)、誰だ?」というものだった。

私は、涙が止まらなかった。
お前、と久しぶりに言われたことが嫌だったわけじゃない。
そもそも、さっきまで暫く祖父の私への最後の言葉を忘れていた。
ふと祖父の私に対する最後の言葉を思い出したから、
祖父についてちょっと書いてみたいと思う。

誰だ?といわれたときは
私のことを認識できなかったことよりも、
1週間前は「受かるわけあんめえ。そもそも
女でそんなことやってるの見た事ねえもの」
と言っていた祖父が、
あまりに容態が激変して弱っていたために
お迎えが近いことを予感して悲しかったのだ。

孝行のしたい時分に祖父はなし。
私の祖父は、双方とも、齢89で亡くなった。


私は祖父の墓前に吉報を報告したいと思う。
受かるわけあんめえ、よいじゃねえと
数分おきに言っていた祖父。

心優しい祖母は、私の顔色を伺い、「そんなことないさねえ」と
懸命にフォローしてくれようとしたが、
祖父の言葉は自分が実際に見たことや経験したことのあることしか
信じられない祖父の素直な感情から来たものだと自然に受け取れたから、
私は全然気分を害したことはなかった。
女医については、自分が入院している病院でよく目にするからか、
晩年、「医者になるんかい?」などときいてきたりして
ほほえましく思った。

小さい頃、ありとあらゆる伝染病にかかり、
入退院を繰り返し手術するなど、身体が弱かった私は、
祖父母の家でも体調を崩し、そのまま預けられて
暫く育ててもらうことがよくあった。
うちの子だ、と言って育ててくれた祖父が大好きだった。
私を公園に連れて行って、一服するのが常だった。
私が報告しにいったら、きっと喜んでくれると思う。

祖父の写真で印象に残っているのは、
赤紙が来たとき、奉公先の店の主人にあつらえてもらったという
軍服を着て撮ったものだ。
祖父は、当時にしては長身で、男前だった。

引き揚げの混乱のなか生き別れになった妻子と、
インターネットも携帯もない戦後、
どうやって再会したのか、など
きいてみたかった。
でも、祖父はもういない。

母が、母の父である祖父について、
祖父が亡くなって暫くしてから「あんな人、嫌いだった」と言いはじめたことがある。

「あなたにとってはただの優しいお祖父さんだったかもしれないけれど、
亭主関白で聞く耳をもたない」。
また、「お金にケチだった」とも。
私にいつも本を読み聞かせてくれた祖父の悪口を言われるのは悲しく、
母が目に涙を溜めながら実の親のことを自分の娘に悪く言うのを面と向かって聞くのは、
複雑な思いだった。


私には、思ったことを相手に率直に言ってしまう傾向があり、
それで失敗をすることも多いが、
母に対しては自分でもびっくりするくらい自己制御が働く。
だから、祖父のことをきいても、反論せず、「そっか」と呟くばかりだった。


祖父がケチでなければ、母は進学することができなかった。


母の言葉をきいてすぐにそう思ったけれど、胸の中にとどめおいた。
母には言ってはならないことだ。


母は繊細なので、人間関係で傷つきやすい。
傷つくのを防ぐ自己防衛本能から、一見情が薄いと見えるような、
言動をすることも。
人間関係が深くならないうちに、自分から引くのだ。さっと。
こういうところは私と違うなあと思う。
子どもに対する接し方についても、「つき離し」と思われるところも。
ベタベタするのを嫌がるふしがある。
私は家で生まれてから一度も母と一緒にお風呂に入ったことがない。
でも実は情は深い。
結構おもしろいし、意外とタフなところも。


私は、その日暮らしが続いて苦労した祖父母に比べて、
甘ったれた生活を送り、なんというていたらくだろう。
特に、この一週間は、お腹が痛い、ということを言い訳に、
睡眠時間を多くとりすぎてノルマが果たせていない。
祖母は、決して身体が丈夫でないのに、
私の年で、すでに子ども3人を抱え、その日暮らしの
商いをしていたことを思うと、情けないばかりである。

無一文となって帰還し、長男でもないから農家も継げないなか、
妻子を抱え、闇市から身をおこし、
商人として家を三軒建てた祖父のバイタリティ、
そして祖母の芯の強さが
私には流れているはずだ。

もっとも、最初の家は、トタンの夜露をしのぐだけのバラックで、
祖父が10代の頃奉公していた新橋のお店の主人が
はるばる訪ねてきたときには、
一家のあまりの貧しい暮らしぶりをみかねて、
返さなくていいといいながら、お金を置いていったという。


通過すべき関門は、結局、メンタル面の強さが問われている、
というところのようだ。
祖父に吉報を報告することができるよう、
ストイックな生活に入ります。

私は要領がいいとは決していえないので、
一週間の過ごし方が確立されるまで時間がかかるかもしれない。
自分との闘いだ。
時間管理が確立されるまで、
更新を休みます。
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