Flavor of Life
日々の思いつきとこれまでの旅行記、音楽と本の感想などを稀にアップしていきます。
自分の感じたことをすっと言葉にすることに、ときに困難を覚えることがあります。
うまい表現がみつからない、というか。
「言葉をみつける過程」の記録としても位置づけていけたら、と思っています。

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contrasting characteristic, rebellious period                 
近頃、一番年下の妹が、複数のきょうだいのうち末っ子である母が長子である伯母(母の姉)について表現することと同じことをしばしば私について口にする。
「いいこぶりっこ」とか「親の前でええかっこしい」とか「反抗期なかっただろ」とか「自分の意思で何か決めたことはあるのか」とかそういう類のことだ。
それはちくちくと突き刺さる。
自分でもそういう部分や、母との独特な関係を自覚しているからだと思う。


私は、歳の近い真ん中の妹をいじめてしまったことを子どもなりに深く反省し、
末っ子の誕生が判明したとき、この子こそは絶対に大事にしようと心に誓った。
小学校が終わると飛んで帰り、ベビーカーを押して散歩をし、抱っこしてあやし、
お風呂に入れ、寝かしつけ、毎日子守をしていた。
ときには、言葉の意味もまだわからない妹にむかって紙芝居をして自己満足したりも。

私が家を離れて約10年、いつの間にか彼女は、
赤ちゃんの頃の、まるでおむつのCMに出てくる赤ちゃんのような純真無垢な愛らしさは微塵も感じられない、
日焼けサロンにいるギャルような見た目になった。
というか、そのまんまギャルである。
その彼女が冒頭のようなことを色々言ってくるたびに、
内心「誰がおむつ替えたと思っているんだ」といらっとしても、
狭い空間の中で逆切れ等されては時間の無駄なので、馬耳東風で通すことにしている。
何しろ今は妹の一言一言にいちいちつきあっている暇はないのだ。


他の家族によれば、彼女は高校の頃は
「番長と呼ばれ脇を舎弟(?)で固め周囲から怖がられ敬遠されていた」そうであるが、いくら見た目が変わっても、私にとっては、
別れたときにまだ小学生で可愛らしかった妹の面影がいつも投影される。
彼女なりにやりたいことをみつけられるといいな、と願うばかりである。
(こういう考えが妹にとっては「ウザイ」のだろう。)
近頃はどうやら片想いのようだ。


妹に関して、2005年夏に書いた日記を加筆修正の上、載せてみることに。
その年は、彼女がアメリカ留学から帰国した年で、今と違ってすごく懐いてきた。あれは幻だったのか。
近頃のかみつきっぷりをみると、懐いてきたのはあれが最初で最後だったみたい(笑)


末っ子の妹が一年ぶりに帰国し、成田に迎えに行った。
そのことが印象的だったので記録にとどめておくことに。

妹は高校時代アメリカに留学していた。


妹は、渡米前は、ぎゃーぎゃーいつもうるさい姉たちを嫌悪してか、
「どんな時もパニくらないを信条」(本人談)とし、常に斜に構え、クールで無口、
HIPHOPの好きな子であった。
家では「うん」とか「すん」とかしか喋らず、文章を口にすることがないので、
母と私は「日本語もろくにしゃべれないのにむこうで英語話せるのかね」
などと心配?したものだ。


また、「わしは親の言いなりには、絶対にならん」
「この家族に生まれたことが本当に嫌だった」などと毎日反抗し、
ちょっとでも頭をなでたりハグしようとすると「きもいんだよ!」と撥ね退け、
悲しくも私を始め家族は拒否されていた。

だが、成田で再会したとき、まず最初に抱きついてきた。
抱きつかれたのは初めてである。
渡米前よりもずっと明るく、無邪気に感情を表すようになっていた。
アメリカで毎日ダンスをしていたそうで、
見た目はHIPHOPの系統がより濃くなっていた。

帰り道すがら、アメリカでの生活について自らずっと話してくれた。
妹が、文章で話すのを初めて聞いた。
渡米前は、自分の学校生活について何も話してくれなかったのが、
空港から実家に帰るまでも、実家に帰ってから寝るまでも、
生き生きと自ら体験をずっと話してくれ、話はつきなかった。
それが嬉しかった。

妹は、日本で受験一辺倒の、締め付けの厳しい学校に入ってしまったが、
その学校のカラーは彼女には全く合わず、苦しんでいた。
その学校は中高一貫になったばかりで、学校として進学の実績がまだないため、
まず数として成果を出すのが先決で、妹曰く
「校内のテストの成績がいい生徒以外は人間じゃないという扱い」をされたようだ。

中学入試時の試験で10位以内だった妹は、
締め付けから逃避して一切の勉強を放棄したため、
みるみるうちに数百番も順位が後退した。
そして、年の離れた姉がいるせいかませていて化粧をばっちりきめ
見た目がとっぽい上にいつも廊下などで踊っていて目立つため、
先生方に「悪の元凶」「問題児」などと決め付けられ(本当にあきれて笑ってしまう)
母は学校から呼び出しを受けるわ、注意の電話はしょっちゅうかかってくるわで、
学校で自分の居場所がなかったらしい。

一方、留学先の高校では格好については「胸から太腿まではとりあえず覆うこと」とう
自主的なガイドラインがあるだけで自由であるし、
何よりも先生方が皆、それぞれの生徒のよさをみつけてくれようとするため、
やる気がおきたらしい。

地方の片田舎の進学校になりたいけどなりきれていないような高校で
「問題児」と不良扱いをされていた妹は、
アメリカの高校で、とても良い成績をもらって帰ってきた。
留学前は全てにやる気がおきず、「勉強なんて何のためにするかわからん」と目が死んでいたようだったのに、
実家に帰るバスの中で「勉強が好きになった」と言ったときはあいた口がふさがらなかった。
特に、アメリカ史と、webデザインの授業が好きだったらしい。
留学をきっかけとして、それまで考えもしなかった様々なことに問題意識も生まれ、将来勉強したいこともみつかったようだ。
渡米中一切電話をよこさず頑張った妹が無事に帰ってきたことと、
生まれて初めて自分に自信を持ててとても明るくなった妹を見て、
とても安堵した週だった。

十代の若者は、ちょっとしたきっかけの有無で、大きく将来が左右すると思った。
妹は、やる気が出るきっかけを持てたことで、幸運だったと思う。そのことは本人もよく自覚しているようだった。
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