Flavor of Life
日々の思いつきとこれまでの旅行記、音楽と本の感想などを稀にアップしていきます。
自分の感じたことをすっと言葉にすることに、ときに困難を覚えることがあります。
うまい表現がみつからない、というか。
「言葉をみつける過程」の記録としても位置づけていけたら、と思っています。

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paradigm shift                 
子どもの頃は、どうして?何で?と、周囲の大人に対して思い立ったら吉日のように質問を投げかけていたらしく、うんざりした親から、静かにしなさい、とよく言われていた。

聖書のなかでずっと一番謎だったのは、
イエス・キリストの誕生の次第は次のようであった。母マリアはヨセフと婚約していたが、二人が一緒になる前に、精霊によって身ごもっていることだ明らかになった。夫ヨセフは正しい人であったので、マリアのことを表ざたにするのを望まず、ひそかに縁を切ろうと決心した(マタイ1.18-21)
という部分だ。

シスターにきいても母にきいても誰にきいても「精霊によってです」「神さまがお送りになったのです」等と言われるばかりで納得する答えが得られず、私はますます混乱した。

しかし、数ヶ月前に読んだ本で、長年の霧が若干晴れてきたような気がする。
夫ヨセフは正しい人であったので、マリアのことを表ざたにするのを望まず、ひそかに縁を切ろうと決心した
という部分についても、述べたいことが色々とあるが、長くなるのでここでは置いておく。

マタイによる福音書の冒頭では、綿々と男性の生命の系図が記されている。

しかし、冒頭に挙げたように、マリアが神の霊を宿して母となった、ということを前提とすると、実は、肝心のイエスの誕生のところで、男性の系図が絶えていることに気づく。

・・・エクアザルはマタンを、マタンはヤコブを、ヤコブはマリアの夫ヨセフをもうけた。このマリアからメシアと呼ばれるイエスがお生まれになった。(マタイ1.15-16、太字と下線は私が付加。)

ヨセフはイエスにとって実父ではなく、養父にすぎない。

まさに系図の真打ちであるイエスのところで、男性から男性へとこれまで連綿と続いてきた男性の系図が途切れていること
に注意して読むと、
これまで気づかなかったメッセージを汲み取ること
ができる(長島世津子『キリスト教的女性学 パートナーシップ』、門土社、1999年)。
ちなみにこの本は、昨日言及した問題児妹が紹介してくれた。

法律に限らず、旧約聖書も新約聖書も、文学も、政治も経済も全て含めて、あらゆる事象についてジェンダーの視点から再検討すると、新たな発見があることがおもしろい。


ジェンダーの視座との出会いは、私にとって“the fruit of serendipity”という感じだ。内定先を迷いに迷って辞退して偶然入った今の学校で、素晴らしい友人たちと出会い、彼等と議論する中で「あ、そう、これだよ、私が探し求めていたものは」と思ったときの喜びは言葉にすることができない。
: つれづれ : comments(0) : trackbacks(0) : posted by kay :
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